昭和29年8月
下関市が全国19番目の
「モーターボート指定市」となる。
昭和29年10月
8月23日から
競走場施設の建設に着工、
突貫工事で完成。
下関競艇場開設当時の
正門及び入場券発売所
昭和29年10月
初開催 22日から25日までの
4日間レース。
(初日 売上額3,979,800円 入場者数3,205人)
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下関競艇場初開催初日空撮
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下関競艇場初開催初日レース
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下関競艇場初開催
セレモニー風景
昭和29年〜32年
当時の
開催告知
新聞広告
昭和31年4月
全国のトップを切って
選手宿泊所を場敷地内に建設。
全国初の選手宿泊所全景
昭和31年5月
笹川賞競走の前身である第2回全国地区対抗競走を
全レース8隻立てで開催。
昭和32年9月
騒擾発生。
第7レースで本命艇がスタート前トラブルで6着、
対抗艇フライングでファン納得せず。
昭和34年5月
オール女子選抜特別レースを6日間レースで開催。
昭和36年7月
関門海峡縦断航走。海上保安庁の後援を得て
モーターボート競走の意義と役割を周知するため、
ランナボート12隻他で実施。
昭和37年5月
第1回国際少年少女ゴムモーターボート
競技大会を開催。
昭和40年11月
中央スタンド完成。
昭和40年代当時のスタンド全景
昭和42年3月
美祢市、萩市、豊浦町、菊川町の
2市2町競艇組合営で初開催。
昭和44年3月
東スタンド完成。
昭和45年8月
美祢市ほか1市2町競艇組合に豊田町、豊北町の
2町が加盟。
昭和47年3月
休憩所、婦人子供専用室完成。
昭和50年3月
第10回鳳凰賞競走開催。
昭和50年代初期の選手名
美祢市ほか1市4町開催
6周年当時の案内横断幕(昭和51年当時)
昭和55年12月
西スタンド完成。
昭和57年2月
スタート事故防止運動で
事故防止達成全国第5位で受彰。
笹川賞競走他記念レースポスター
(昭和50年代〜平成元年)
昭和58年1月
昭和56年度舟券売上伸率斯界最高を記録し
日本船舶振興会より受賞。
昭和58年5月
対岸電光表示盤(確定盤)設置。
昭和58年7月
全国初のサマータイムレースを
4日間レースで開催。
サマータイムレース・スタート
昭和59年5月
12レース制復活。10年ぶりに全国に先駆け実施。
昭和59年7月
積極的なファン拡大施策(サマータイムレース、オール女子、
12レース制、早朝外向前売、ファンクラブ充実)の実施で
全国モーターボート競走会連合会より受賞。
昭和62年9月
笹川陽平副会長「モーターボートの現況と展望」について、
下関マリンホテルで講演。
昭和60年代当時のスタンド全景
昭和63年5月
競艇の日制定。
昭和63年7月
地元婦人会のボートレース体験会開催。
昭和63年10月
JR下関駅構内、ボート専用テレビ放映開始。
昭和63年11月
A型血液選抜選手権競走開催。(献血車、検診車協力)
昭和63年11月
電話投票開始。
平成元年7月
第16回笹川賞競走開催により、
1レース、1日、節間売上額の最高記録樹立に対し、
全国モーターボート競走会連合会より新記録証受賞。
競艇用未来ボート下関ボート初登場
(平成元年7月)
平成元年9月
星座選抜選手権競走開催。
(団体戦で優勝戦出場者決定等は全国初の試み。)
平成2年4月
大韓民国釜山直轄市長盃争奪戦競走開催。
競艇業界では全国初の国際親善を目的とした
タイトル戦を5日間レースで実施。
平成2年5月
地域振興事業補助金制度を創立。
競艇の日制定記念事業の一環として、
市民に対して競艇事業の意義と役割について
理解を求めるため競艇場において
第1回補助金交付式を実施。
平成2年7月
女性専用化粧室
「レディースルーム花真珠」完成。
平成3年5月
スタート練習廃止、優勝戦の周回を3周に変更。
平成4年2月
第37回モーターボート記念競走開催により、
1レース、1日、節間売上額の最高記録樹立に対し、
全国モーターボート競走会連合会より新記録証受賞。
舟券返還事故防止努力賞受賞
(平成4年2月)
平成5年4月
対岸大型映像装置放映開始。
下関競艇場将来構想検討委員会設置。
平成5年6月
「エイズ展」開催。
平成5年8月
第41回日本海洋少年団全国大会(カッター競技)開催。
常陸宮ご夫妻をお迎えし
第41回日本海洋少年団全国大会を開催
平成5年10月
マスコットキャラクターの愛称
「シーボー」に決定。
平成8年1月
GⅠ第10回新鋭王座決定戦競走開催。
平成8年3月
下関競艇場総合整備計画策定。
平成9年10月
西スタンド3、4階有料席無料化。
平成11年4月
「ボートピア高城」共同使用開始。
平成11年12月
新中央スタンド完成。
平成12年6月
SG第10回グランドチャンピオン決定戦競走開催。
平成13年8月
三連勝式投票法導入。
平成14年2月
インターネットによる実況中継開始。
平成14年8月
スタート展示開始。
平成17年2月
下関市と豊浦郡4町が合併。
平成17年6月
SG第15回
グランドチャンピオン決定戦競走開催。
平成20年7月
九州・山口地区で初めてチルト3度を導入。
平成20年9月
進入固定レースを開始。
平成22年3月
GⅠ女子王座決定戦競走開催。
平成22年6月
競艇の呼称を「BOAT RACE(ボートレース)」に
全国統一。
平成23年10月
ミニボートピア山口あじす開設。
平成24年5月
新プロペラ制度導入(選手持ちプロペラ制度の廃止)。
平成24年5月
薄暮レースを開催。
平成24年10月
外向発売所「ふく~る下関」開設。
平成26年8月
キャッシュレス投票サービスの開始。
平成26年8月
「オラレ下関」オープン。
平成26年11月
SG第17回チャレンジカップ/
GⅡ第1回レディースチャレンジカップ開催。
平成27年4月
下関競走場の名称を
「下関競艇場」から「ボートレース下関」に改める。
平成28年3月
美祢市萩市競艇組合の解散。
平成28年5月
イメージCM「Make a Dream」が
第10回山口県広告大賞最高賞「山口県知事賞」受賞。
平成28年8月
ナイターレース愛称発表。
6,935作品(4,755点)の応募の中から
「海響ドリームナイター」に決定。
平成29年2月
出走表コンビニプリントサービススタート。
平成29年3月
ナイターレースオープニングイベント
「海響ドリームファンタジア」開催。
平成29年4月
業界6場目となる
ボートレース下関のナイターレース
「海響ドリームナイター」開始。
平成29年11月
SG第20回チャレンジカップ/
GⅡ第4回レディースチャレンジカップ
業界史上初のナイター開催。
SG第20回チャレンジカップ 優勝者:毒島 誠
平成30年3月
ナイターレース1周年記念
「海響ドリームファンタジア2018」開催。
平成30年8月
「チーム☆ラボ 学ぶ!未来の遊園地」開催。
平成31年3月
「海響ドリームファンタジア2019」開催。
平成31年4月
「BOAT KIDS PARK Mooovi下関」
オープン。
令和元年7月
子供向け大型プール
「ボートレース下関ウォーターパーク」開催。
令和2年2月
新型コロナウイルス感染症対策のため、
無観客によるレース開催。
令和2年6月
有観客によるレース再開。
令和2年8月
SG第66回ボートレースメモリアル
(モーターボート記念)開催。
令和2年9月
「ボートレースチケットショップながと」
オープン。
令和2年11月
「BOAT KIDS PARK
Mooovi下関」屋内新エリアオープン。
令和3年4月
プレミアムGⅠ第22回マスターズチャンピオン(名人戦)開催。
令和3年10月
業界初 ミッドナイトボートレース開催。
令和5年3月
ボートレース下関パーク化整備基本計画策定。
令和5年9月
プレミアムGⅠ第10回ヤングダービー開催。
令和6年1月
周年記念GⅠ競帝王決定戦において、
周年記念競走売上の新記録達成。
令和6年3月
令和5年度において、年間売上の新記録達成。